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しゅてる漫画読んで思ったヘタリアのプロイセン考察と、イギリスとプロイセンの愛情に対する価値観の違いとか考察

※検索避けで本文国名ひらがな表記。

ヘタMMDすげー漁って、漁りすぎて好きな動画を再度探して一度見た動画また逆走して見てるという。

クリスマスのディズニーシー初めて行って(そして母の初シーをご案内)まぁまぁ満足いく結果だったとかありました。
とりあえず、トイマニFP取れて、クリスマスのビックバンビート抽選外れたけど並んで1F席で見て、クリスマスのテーブルイズウェイティング見れたので私は満足。ただ、母にもう少し乗り物乗せたかったのが、ミスだった。夜のショースルーして乗り物行けばよかったけど、母はトイマニとストームライダーとビックバンビートにご満悦だったので、良かったと思う。タートルトークも笑ってたし。

それはともかく、なんとなく見てて気付いたヘタリアのぷろいせん考察。と、愛情とか兄弟とかをいぎりすとぷろいせんで考察。
ぽちぽち書いてたらすげー長くなった。そして今更買ってなかったへたりあ5,6巻買いました。

①【しゅてるん漫画のぷろいせんさんなんかいつもと雰囲気違うなーって感じの考察】




ぷろいせんって、史実の軍国でおかたくて怖ーいイメージとヘタリアのなんかうざい子供みたいな言動のネタキャラというギャップが、人気の一つかなーと思うんですが、よくよく見てみるとヘタリアのぷろいせん自体ものすごくギャップを抱えたキャラクターだと読み取れるんですね。

というのもぷろいせんって自分自身に対する価値観と他人を測るときの価値観にとんでもないギャップがあるんです。

まず、ぷろいせんは『俺様かっこいいぜ』という俺様中心の価値観がありますね。
これは読者は見てればよく分かる。この俺様価値観は、他人が引いてたり理解されなくても気にせず貫いています。
例えば小鳥かっこいいとかよくわかんない価値観を持ってるけど、他人の反応はまったく気にしてないですね。ぷろいせんの中で小鳥は誰に何と言われようがかっこいいものです。

そういったぷろいせんの独特の価値観は、全部かっこいい自分を演出する為に使われます。
で、そうやって他人の反応を気にしないということは、ぷろいせんは他人に自分の俺様価値観を一切押し付けていないってことになるんですよね。他人から理解されない俺様価値観は、当然周りの人には当てはまりませんが、だからと言って、同じことしろとか、逆に俺様価値観に当てはまらないからそいつに価値がないとは思っていないのです。

ぷろいせんが大事なのは『自分がかっこいい』ことであり、他人はどうでも良い訳です。
で、更におかしいのは、彼がかっこいいに拘るのは、他人に褒められたいから。
『俺を讃えろ褒めろかまえ』という子供っぽい理由なんですね。だから俺様理論においてぷろいせんが他人に求めるのは、自分を褒めて欲しいということだけなんですね。
これ面白いのは、褒められたいちやほやされたいでやってる、かっこいい俺様的行動は、たいがい周りから見たら奇行&うざいことばかりなんですよね。本当、どうしてこうなった。だから、ぷろいせんは、なんか相手にされなかったりボこられたりという不憫なオチを担当する羽目になるという。

でも、他人を下げて自分を持ち上げると言った行動はしない辺りが、ぷろいせんがうざくても愛されてる理由かもしれない。

そんな俺様価値観をぷろいせんは自分自身のみにあてはめながら生きている訳ですが、ここで他人に対する価値観はどうかと見てみると、これがびっくりするほどまとも。

彼は自分が変な俺様価値観で暴走してても他人の顔色をまったく気にしない癖に、他人が奇行に走ると途端に反応が常識的になります。最近のだとハロウィン漫画見ると分かりやすいかな。
はんがりーの奇行もドン引きだし、「俺の方がかっこいい。一番かっこいい」主張したらすぺいんに「二番目にかっこええなんなー。よかった」と言われて戸惑っている。
つまり、ぷろいせんは、相手の反論を想定していた訳ですね。相手が「自分の方がかっこいい」と言い出すと思っている。
それって、彼は自分のことを自他共に認める疑いようもない一番かっこいい人物だと信じている訳ではないことを証明している。本当に自分が一番と信じているなら「当然だぜ!」といった反応を返すはずですからね。
ぷろいせんは自分のことをかっこいい俺様だと思ってる訳ではなく、かっこいい俺様であろうと振る舞ってる人なんだと思います。

ちょっと脱線しましたが、ぷろいせんが常識的価値観を持ってるのは、はんがりー幼少期のごたごたでも見て取れます。
はんがりーの胸を女と知らずに触って罪悪感に悩まされたり、「お前は女だ。騙されてる」って指摘できなかったり。
はんがりーを女の子だと改めて思いだして股布でけがの手当てするの止めたり。

この辺りのまともさが、根が几帳面で真面目って説明されてる所以でしょうね。ぷろいせんは、自分のこと(俺様かっこいいorちやほやしてほしい)以外のことは概ね思考はまともなんだと思います。

で、竹林の「開国も大変だ」(しゅてるネンヒンメル漫画)読むと、ものすごい矛盾が見つかるのです。

矛盾とは何かと言うとぷろいせんが言った「努力家は好きだからな」って台詞。
ぷろいせんは五巻の紹介文で「努力家なのに外ではなにもしてねーって顔をする」と説明されてるし、竹林のブログでも「努力してるけど本人は天才だって主張する」といったことが書かれてる。

つまりぷろいせんの中では、かっこいい俺様とは天才であり、天才と努力は矛盾するものだと定義している。だからかっこいいと他人に讃えられる為に、ぷろいせんは自分が努力していてもそれを隠そうとするのです。
それを念頭に入れると、今回の漫画でぷろいせんが努力を賞賛するのはおかしいのです。

例えば「努力家は好きだぜ。まぁ、俺様は天才だけどな」って言ってたらぷろいせんらしかったと思うし、他人に自分は努力してないアピールもばっちりできていたはずなんです。でも、今回の漫画のぷろいせんは、いつも他人に見せているわざわざかっこよく飾りたてた自分をほとんど見せていないのです。

他人にかっこいいと言われたいから、俺様かっこいい価値観から導いた自分を演出しているはずのぷろいせんが、なぜ自分は天才アピールを最後らへんのコマになるまでしなかったか。

まず、にほんが、最初にぷろいせんを褒めてるってことがポイントとして挙げられます。ぷろいせんがお手本になる国だから師事を仰いだと褒めているので、ぷろいせんの自尊心と褒めてくれ願望は最初から大いに満たされています。これによって、ぷろいせんは褒められる為に、自分をわざわざ飾り立てる言葉を吐く必要がなくなったのです。
更に、にほんは、この時強国につぶされまいとがむしゃらに努力していました。
この姿ってなんだか、ぷろいせんの歴史とも合致しますよね。
ようするに、ぷろいせんは、にほんに自分の姿を重ていたと推測できます。
だから「頑張ったら認めてやるぜ」という台詞は、ぷろいせん自身が頑張った結果、自分は大国になったという隠れたメッセージなんだと思います。頑張ったら認められるんだぜって応援してくれているんですよね。

閑話休題。

「自尊心が満たされている」「かつての自分を見出している」この二つの要因が、ぷろいせんのにほんに対する好感度を高め、そしてぷろいせんに珍しく素の自分としての言葉を言わせる結果となったのです。

そうです。今回の漫画のぷろいせんって素を見せている割合が非常に多いのです。だからいつものぷろいせんとちょっと違って見えるのです。態度が柔らかいしあんまうざくない。
俺様かっこいいアピールしないどころか、本来努力家であることを隠したいはずのぷろいせんの対人用の派手な仮面が外されているんですね。これって非常に珍しいことだったんじゃないかなーと思います。

ちなみに、日本がラストで「???」ってなるのは、ぷろいせんと出会ったばかりだったから、そういったぷろいせんの演出と素の切り替わりが良く理解できなかったせいだと思います。

ぷろいせんというキャラが最大級に面白いのは、彼がかっこいいと思ってやってること全部とっぱらって素を見せた方がどう考えても他人に褒められたりかっこいいと言われる確率が高いってことだと思います。
でも、ぷろいせんって素の自分がかっこいいとは思ってないんですよね。じゃなきゃ努力家隠したり自分を言葉で飾り立てて演出したりしないはずだもんなぁ。本当に面白いなー。

②【いぎりすさんとぷろいせんさんの『愛情』に対する価値観を比較すると面白い】

※なんかぷろいせん持ち上げいぎりす批判みたいな内容になってしまいましたが、いぎりすは面倒くさくてどうしようもなくこじらせちゃってる所が最高に可愛いと思ってる人が書いているので、悪意は微塵もありません。いぎりすかわいいよいぎりす。


いぎりすの子育て下手ネタ見ているとつくづく思うのは「幸せな家庭で育たなかった人は自分も幸せな家庭を作れない」という説。
健全な愛を貰わなかった人は自分も正しい愛し方が分からないから相手にそれをあげることができないって論理ですね。
そういったこと考えてると、ぷろいせんといぎりすの愛情に対する認識方法って間逆で面白いなぁと思うようになりました。
ぷろいせんって、あくまで二次創作ネタですが、いぎりすと逆に子育て上手って説が通ってますよね。要するに兄弟仲が公式ですごく良いと言われてるのと悪いと言われてるという差から生まれたネタなんですが、それなりに信憑性はあるんじゃないかなと思います。

というのも、まずいぎりすがなぜ子育て下手か考えると、彼が兄たちから嫌われて無条件な愛情というものを知らないからだと思います。

だから愛情を注ぐ側になった時、彼は相手から無意識にしろ意識的にしろ見返りを求めてしまうのです。「自分がこんだけ愛してるんだからお前もそれに見合った愛情を返してくれるんだろう?」という期待を押し付けてしまう。
だって今までただで愛情貰ったことないんですから、だったら愛情を差し出せば愛情が返ってくるんじゃないかって認識になってしまうのも当然です。結局、自分が愛されたいから相手を愛してしまう。そんな愛しか生まれなくなってしまった。

これこそがふらんすがいぎりすの子育て失敗する理由として「相手に思い入れすぎるせい」と挙げた意味なんですね。自分の為だから熱心に入れ込んでしまう。

いぎりすの愛情は自己愛の裏返し。相手を自分の地続きの存在として愛してしまうから、愛情を注がれた相手からは重たくて支配的に感じてしまう。いぎりの所有物だから愛されてるって認識になってしまう。植民地支配云々な歴史考えるといぎりすという国の擬人化としてすごくしっくりくる。

で、無条件な愛情を知ってる人はいぎりすとどう違うかといえば、ぷろいせんと見比べてみれば良いのです。

例えば、いぎりすは幼少期のあめりかを懐かしみ、あれだけ懐いて可愛いがってたのに、と言う癖にあめりかに冷たくされたら「俺だって嫌いだばかぁ」って返すのです。相手が自分を愛してくれなければ、いぎりすは愛情を返せないというわかりやすい証明ですね。

ところがぷろいせんは、いたりあ兄弟に並々ならぬ好意を抱いていますが、兄は露骨に嫌がり、弟にスルーされててもまったく気にせず、相手を褒めたり好意を振りまいたりするのです。
つまり、ぷろいせんは自分が好いた相手から見返りの愛情が返ってこなくても愛情を注ぐことが出来る人なのです。
ぷろいせんは、愛情は見返りがあってはじめて成立するものだとはまったく思っていないということになります。

ぷろいせんって俺様キャラにしては珍しい思考回路してると思います。
俺様一番ってキャラは、普通周りの人間を自分より下に位置づけます。一番ってことは他人が自分より価値が低くないといけないですからね。
また、他人を褒めたり、他人が褒められたりすることを忌避するものです。だって他人が評価されるということは自分が一番という地位が脅かされるかもしれませんから。ところが、ぷろいせんって他人を褒めることには何のためらいもないがないのです。いたりあ兄弟への賞賛、弟自慢、開国漫画のにほん、のとさま5の大和。ぷろいせんは、俺様一番でかっこいいと思っていますが、その分他人を低く評価していることは一切ないのです。
それって、ぷろいせんは他人の評価を奪わなくても自分は高く評価されると認識してるってことになります。

つまり、ぷろいせんはいぎりすと違って愛情めっちゃ貰って他人にわざわざ小細工しなくてもめっちゃ褒めらる環境で育ったんだろうな。という結論になるのです。国擬人化だから家庭とかないのですが、ぷろいせんの場合、しいて考えられるとするなら上司に恵まれてたのかもしれません。実際、お掃除ぷろいせんでは、フリッツ親父がいないから褒めてくれる人いないって愚痴ってたので、歴代上司はぷろいせんにかまって褒めてくれる人が多かったのかも。
じゃないと、あんなかまってちゃんで好きな人には好意を惜しまない人好きな性格にはならないですよ。

ぷろいせんの自分褒めては、特定の誰かに向けられる訳じゃなくて全方位なんですよね。
俺も褒めるから相手も褒めてっていう見返りの愛を求めている要素は微塵もない。
無料で愛情貰えると思ってる人の行動ですよ。
おまけに彼は、自分なりに「こうこうこうで俺様かっこいいから褒めろ」ときちんと理由を用意して、最終的に他人にどう評価するかの自由意志を任せている。
俺様キャラとして、それがもっとも変わっている部分だと思います。
ぷろいせんには、他人の意志を支配する(強制する)考えって一切ないんですよね。

いたりあ兄弟のことだって、普通の俺様キャラだったら「俺はかっこいいから相手も好きに決まっている」とか「俺も好きだから相手も好きに決まってる」って思うはずなのに、ぷろいせんは、相手が自分に向ける感情に対して決めつけや希望や批判といった思い込みや押し付けがない。

自分が好きなら好きで完結している。結局、相手の好き嫌いはぷろいせんの意志には何の影響もしないんだな。嫌いな相手も相手が嫌ってるから嫌いな訳じゃなく、自分が嫌いで、相手も嫌いだっただけなんだろうな。他人の意志にまったく左右されないって、ある意味、思いっきり自己中心な考えなのかも。清々しい俺様理論だ。

ぷろいせんに関しては、もう一つ付け加えたい考察部分があったりする。
六巻の「俺たち兄弟なのに似てないなぁ」って笑顔で言ってる点。
この反応、私ちょっと意外だったんですけど、こうやって考察していると納得の反応なんですね。

例えば、「兄弟で似てるね(兄弟でなくても友達でも良い)」って言われて喜ぶ人の心理はどういうものか考えてみましよう。それって相手の中に自分の面影があることに喜びを見いだしているってこと。自分と相手の間に地続き的な繋がりがあることに歓喜しているということ。それこそ、相手に向けて自己愛や所有権的な執着心を抱いていることに他なりません。同一視ってやつですね。相手と自分が同じことで安心感を覚え、相手の優秀さがそのまま自分の優秀さとイコールに感じるという。

そう考えると、ぷろいせんって兄としての支配欲的な素振りはまるでないですね。
所謂「俺の弟だからこれこれ出来るんだ」って、相手の手柄を自分のもののように認識することです。ぷろいせんの弟自慢はあくまで、自分自慢じゃなくて「こいつすごいんだぜー! しかも俺の弟なんだぜー!」って自慢。すごいやつが弟であることの自慢になります。

プライベートコンサートで「俺の弟だから」って言葉使ってるけど、言い回しからはポジティブな印象を受ける。
この場合、弟の手柄を横取りする意味じゃなくて自分が出来るから相手が出来るって発破かけてることになります。
ただし、このケースでも人によってプレッシャーになる場合がある台詞なんですよね。「俺が出来るのに弟であるお前はできないのか? 出来ないはずないよな?」って重圧。まぁ、ぷろいせんからはそんな印象一切受けませんが。

ぷろいせんって自分のことめっちゃ可愛がって生きてるから、他人に自己愛的な転嫁を押し付ける必要ないんだろうな。

だから本当にこの人良いお兄ちゃんなのかもしれない。だって、周りからは「兄貴があんななのに弟は真面目でちゃんとしてるなー」って思われてるじゃん。で、ぷろいせんは他人の自分に対する評価別に気にしないじゃん。で、うざいけど、別にぷろいせんは無能な訳じゃないじゃん。弟のことも可愛がってくれるんでしょ。本人も周りも兄貴というプレッシャーかけてこない、純粋な好意だけくれるお兄ちゃんとか、楽だよ。弟から見たらすっごい楽。

なるほどなー。仲良い理由分かった。お互い、嫉妬する要素がないからうまく行ってるんだな。

ちなみにいぎりすとあめりかの場合、あめりかは、いぎりすが兄と主張する事に重みを感じる(所有物扱いに思える)から、兄だって言われるの拒絶するんだろうなぁ。
人間の親子として考えるなら、まぁ親からの自立として健全なんだけど、こいつら国だからなー。
人間だったら、おっきくなったらいぎりすの気持ちとかいつか分かって貰えるんだろうけど。
いぎりすについて、色々言ったけど、自己愛の裏返しだとしても愛情を注いでくれたことに間違いはないからね。
あめりか大きくしたのはいぎりすだから、国云々とかは頭追い出してキャラクターとして見て言うなら育て方間違ってたとは思わないよ。
それに、今の竹林更新は「兄が色々ある代わりに弟が最近優しい」って内容の時事に対するコメントが確か書いてあった――通りに、よく一緒にいるからね。うん。このふたりはこれで良いと思うよ。

【おまけ】

ちなみにぱっと思いついたヘタリアの兄弟関係イメージまとめ。

『いたりあ兄弟』は、お兄ちゃんが弟に劣等感抱いてるけど、弟が兄を敬ってるのでうまくいってるパターン。

『どいつさん兄弟』は、お兄ちゃん他人の評価どうでもいいので兄<弟扱いされても弟に嫉妬する要素なくて、弟はそのせいで兄と周りからの重圧ないから良好。

『いぎりすとあめりか』いぎりすは愛情を代償に愛情を貰おうとして熱心になるあまり、あめりかに重いし打算的で支配されてるように感じられてしまい兄弟関係完全否定されたという。ちなみに兄としてじゃなきゃ別にいぎりす嫌いじゃないって言ってたってどこかで聞いたんだけど公式?

『のるとあいすくん』は、ただの思春期であいすくん照れてるだけなので、兄弟仲良好。

ろしあさんところは、どうなんだろう。考察し甲斐はありそうだけど、材料が足りないなぁ。
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